吉田初三郎墓
京・山科の初三郎墓
吉田初三郎(よしだはつさぶろう)は明治17年1月2日京都の生まれで、25才の時、鹿子木孟郎(かのこぎたけしろう)に洋画を学んだ。
大正3年に描いた『京阪電車御案内』が、皇太子(後の昭和天皇)の賞賛を受け、その後鉄道省の「鉄道旅行案内」(大正10年、大正13年改定版)の挿図を担当し、大ヒットし、「大正の広重」といわれ、その地位を不動のものとした。
全国各地を歩き,独特な図法によりデフォルメされた彩色の観光案内絵地図(鳥瞰図)を制作する。その数2000点以上といわれ、その全容は未だわかっていない。
昭和30年8月16日京都で死去。享年71歳
今年は没60年にあたる。今回、本書籍発刊にあたり、京・山科に墓参りにでかけた。
出かける場合は、道幅が狭いところもあるので、京都の路地に慣れていない人はコンパクトカーか軽自動車がお勧めである。
いつでも、旅に出られるように、東海道線沿いに建てられている。
合掌